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犬が犬らしくあるために


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ここでは「動物の5つの自由」 "5freedoms" のひとつ、
正常な行動発現の自由 Freedom to behave normally
について考えていきます。

前ページから「正常な行動発現」との訳語を採用してきましたが、

・behave ふるまう、行動する
・normally 順調に、正常に、通常通りに、普通に、本来の通りに

なので、間違いのない直訳といってよいと思います。
「ふるまう」という日本語は、あえてそうするような場合に使うこともあるので、"behave" はシンプルに「行動する」でよいでしょう。
"normally" に含まれる「本来の通りに」というニュアンスをより汲み取ると、「自然に行動する」「その動物らしく行動する」といった訳でもよいかもしれません。

「正常」の反対語は「異常」です。
「正常な行動」の発現を阻害されている動物も、生きている以上何らかの行動をしているはずですが、 それが必ずしも「異常な行動」(と思える行動)なのか?と考えると違うような気がします。
また、異常な状態に置かれたときに異常な行動をとるのは正常なことだといえるでしょう。
なにやら人間が一方的に「正常/異常」の線引きをおこなうようで違和感があります。


わたしだけかもしれませんが「正常/異常」という強い言葉を使うと、その行動が正常か異常かに気を取られて、問題の本質を見失いそうになります。
そこで、わたしは、 犬が犬らしく自然に行動する自由 という訳をおすすめしたいと思います。
「犬」の部分は豚なら豚、フェレットならフェレットで構いません。
この項目にとっての問題は、ある特定の行動が正常か異常か?といういうことではなく、その動物が自然に行動を選択する自由を認められているか否か?ということだと思うからです。
「正常/異常」よりは、「自然/不自然」のほうが想像がつきやすいというのもあります。

たとえば、飼い主さんの横にぴったりついて歩く犬を見て「この犬の行動は異常だ!」と言う人はほとんどいないと思います。
「おりこうさんねぇ」と思う人の方が多いでしょう。

「異常」でないということは、おりこうさんに歩くことは犬の「正常な行動」なのでしょうか?

このように聞かれたら、わたしはとっさに答えに詰まってしまいます。
ですが、 「おりこうさんに歩くことはその犬にとって『自然な行動』なのでしょうか?」 こう聞かれたら、わたしなりの答えを用意することができます。

わたしは、おりこうさんで歩いている犬が、おりこうさんでないように歩くことも選べる状況にあるのであれば、その犬のおりこうさんな行動はその時・その状況のその犬にとって自然な行動なのだと思います。
逆に、おりこうさんに歩くこと以外を選べない状況にあるのだとすれば、その犬のおりこうさんな行動は自然な行動ではないと言えるでしょう。


「おりこうさんに歩くこと以外を選べない状況」をつくる原因は、
距離をとることが不可能な短いリードであったり、
前に行こうとすると首がしまるタイプの首輪であったり、
気がそれたときに名前を呼ぶ飼い主さんの声であったり、
飼い主さんの近くを歩いていればもらえるはずのオヤツであったり、
勝手に動いたときに怒られた経験であったり、
そもそも勝手に動いた経験がないためであったり、
おしゃれなお洋服の生地がこわばるためであったり、
それ以上ペースを上げると痛む膝や心臓のためであったり、
元気を奪われるような暑さのためであったり、
おりこうが自慢のママの笑顔のためであったり、
いろいろ考えられると思います。

犬が「自然に行動する」自由を守るためには、行動の選択を制限しているこれらの原因を取り除けばよいはずです。


これらの原因(上記がすべてではないと思いますが)は、いくつかの種類に分けられると思います。

A:物理的・肉体的におりこうさんしかできない
B:おりこうさん以外をすると嫌なことがあるからしたいことをしない
C:おりこうさんをするといいことがあるからおりこうさんをする
D:おりこうさんしか知らない

Aは比較的分かりやすい原因です。
上記で挙げると、リード・首輪・呼び声・洋服・体調不良・暑さなどがこれに当たります。
呼び声は他のものほど強制力がないかもしれませんが、声を掛けられると反射的に戻ってしまうようならここに入ると思います。
これらの解決は簡単です。
リードが短いなら長くし、首がしまるなら首輪をやめればいい。
むやみに呼び戻さず、気になるお洋服を脱がせて、暑そうであればおさんぽの時間を変える。
体調不良に気づくのは難しい場合もありますが、気づいたのなら病院に行く。
実際にはそう単純にはいかないかもしれませんが、因果関係がはっきりしているため、原因さえ分かればそれを取り除く対策も立てやすいと思います。

Bは、おりこうにしないと嫌なことが起こると知っているために、犬がおりこうでいることを選んでいる状況です。
首輪・怒られた経験・体調不良などがこれに当たります。
首輪と体調不良はAにも入れましたが、おりこうでいる限りは首がしまらない、あるいは具合が悪くならないのであれば、Bにも含まれると思います。
怒られた経験は、たった今も犬が前に出たら怒る気まんまんでスタンバイしている飼い主さんでなくても、犬のほうで「前に怒られたからもうやめよー」と思っているケースも含まれます。
「嫌なことが起こるからしたいことをしない」というのは一種の自由な選択のように取れるかもしれませんが、嫌なことがなければしたいことができる(できるのならばしたい)可能性があるということを忘れてはなりません。
ここであげた例でいえば、体調不良はある意味やむを得ないことかもしれません。
しかし、首がしまることや怒られた経験というのは、人間がそうした「嫌なこと」を与えずにいようとすれば与えずにすむものです。
悪意のあるなしに関わらず、犬に対して人為的に「嫌なこと」をし、あるいは意図的に「嫌な経験」をさせ、それによって犬の行動選択の幅が狭められているのであれば、その犬の「自然な行動」は阻害されていると判断すべきだと思います。

対策としては、首輪などのハード面が原因であれば、物自体を取り換えてしまうことが最短の道でしょう。
今まさにおりこうに歩かない犬を怒りながらおさんぽをしているのであれば、それをやめることです。
今は怒るつもりはないが、かつて怒ったことがある、または怒っていた、というのが一番難しいと思います。
嫌な思いをしたことのある犬に自由に動いても大丈夫なのだということを伝えるには、嫌な思いをさせていた時間の何倍もの時間と根気が必要です。
Bのケースの多くは "5Freedoms" の他の項目、

苦痛・損傷・疾病からの自由 恐怖および精神的苦痛からの自由

とも密接にかかわっています。
犬に無用な苦痛・恐怖を与えていないか?という観点からも、あらためて習慣を見直してみてください。

Cは、おりこうでいるとよいことが起こると知っているために、犬がおりこうでいることを選んでいる状況です。
オヤツや笑顔がこれに当たります。
オヤツでなくても、ほめ言葉だったり、飼い主さんの嬉しそうな様子だったりと、特定の行動をしたときに犬のよろこぶことが起きたという経験によって、犬自身がうれしいことの起こるだろう行動(この場合はおりこう歩き)をするようになるというケースです。
これを自然な行動と捉えるかどうかは、非常に判断が難しいところだと思います。
うれしいことを増やしたい、いいことがあったことをまたやりたい、と思うのは決して不自然なことではないからです。
Bと違い、犬自身は嫌な思いをしていないこともあり、犬の自由が侵害されているとは感じにくいでしょう。

ですが、「自然かどうか」という点から考えると、Bと似た構造が浮かび上がってきます。
つまり、悪意のあるなしに関わらず、犬に対して人為的に「嬉しいこと」をし、あるいは意図的に「嬉しい経験」をさせ、 犬の行動を自らが求めるように形づくっていった結果として犬がある行動を自発的に選ぶようになったとしたら、その犬の「自然な行動」はやはり阻害されていると判断すべきではないか、ということです。
犬がおりこうにしてくれて飼い主が嬉しくなるのは、それはそれで自然なことですから、思わずにっこりしたり、やさしい言葉をかけたり、ということまで否定するつもりはありません。
ただ、おりこうに歩かせようという明確な意図をもって、飼い主が望んでいる行動を増やすために犬のよろこぶであろう報酬を与え続けるということ、それはすでに「自然(normally)」という言葉の範囲を超えているのではないでしょうか。

さらに、「それをすれば嬉しいことが起こる」というのは「それをしなければ嬉しいことが起こらない」ということでもあります。
普通に考えて「嬉しいことが起こらない」のは「嫌なこと」です。
おりこうに歩かないとママが不機嫌になる、そこまでいかなくても笑顔が消えてしまう、というのであれば、 「嫌なこと」の程度の違いこそあれ、結局はBと同じことが起こっているということもできます。

Cのケースの原因を取り除くにはどうしたらよいのでしょうか。
原因が犬にとっての「よいこと」なだけに、対策を考えるときも注意が必要です。
オヤツをいきなりもらえなくなったら、どうしてなのか、どうすればいいのかと、犬はとまどってしまうでしょう。
突然ぱったりとやめるのではなく、段階を踏みながら、飼い主さんの与える「よいこと」以外にも世界には楽しいことがたくさんあるんだよ、と伝えていけたらいいですね。
オヤツなどの具体的な報酬ではなく、飼い主さんの声のトーンや感情の機微を敏感に察している子には、飼い主さん自身が自分の感情をコントロールし、いつも笑顔でいるようにしましょう。
嬉しいことがあったときに喜ぶのはもちろんですが、たとえ不愉快なことがあってイライラしても、その子と過ごせるしあわせを自分に言い聞かせ、不快な気持ちを剥き出しにしないよう気を付けましょう。
いい子にしていないあなたも大好きだよ、と最初は嘘でもいいので語りかけてみてください。
だんだん本当のことになってくると思います。
おりこうでないその子も受け入れられている中で、たまたまその子がおりこうに歩く気になることがあれば、その瞬間のおりこう歩きについては、その子の自然な行動だと言えるのではないでしょうか。

Dは、自由に動いた経験のない子のことです。
実際にそういう子がいるのかどうか、いまいち確信が持てないのですが、初めてのおさんぽのときから飼い主さんがしっかりとしたトレーニングプランを持っていて、 自分の横からそれることのないよう徹底したコントロールを行っていれば、そういうことも起こり得るでしょう。
トレーニングという要素が入る以上、突き詰めればB(強制訓練の場合)、もしくはC(ほめるしつけの場合)に含まれてくるとは思いますが、その子にとって「そもそも選択肢がない」という状況は別に考えるべき問題だと思い、項目を立てました。
ここで例にとっているおりこう歩きの場合だと想像がしにくいですが、たとえば「一度もおさんぽに行ったことがない」「おさんぽは必ず抱っこで行く」という場合だったら、その子にとって「おさんぽ」ないし「屋外を自分で歩く」という選択肢自体が存在しないこともあり得ます。

これはA~C以上に根深い問題だと思います。
その行動が自然なものかどうかという前に、なんらかの行動をあらわす機会そのものを奪われてしまっているわけですから。
行動の機会が存在しないのであれば、自然/不自然を問わず、行動を発現することはできないのです。

犬が犬らしく自然に行動する自由 Freedom to behave normally

を考えるとき、目に見える behavior が normal なものであるか、normally に behave できる環境が守られているか、という点だけでなく、あらわれる機会を奪われた behavior が存在する可能性についても忘れてはなりません。
目に見えないもの、あらかじめ失われているものについて考えるのは難しいことです。
そんなときは、犬が犬らしくあるとはどういう状態かを思い浮かべ、今の毎日の中でそこから不自然に逸脱している部分はないだろうか?と自問してみてください。


では、あらためて「犬が犬らしくある」とはどういうことか考えてみましょう。
ここでいう「犬らしさ」は「犬という種が本来(normallyに)持っている特徴」という意味で捉えてください。
あくまでも「犬らしさ」であって、「その犬らしさ」のことではないのでご注意ください。
とはいえ、わたしたちの周りにいる犬はすでに何らかの形で人間の影響下にあることがほとんどです。
日本で暮らしていて自然(nature)状態の犬を見かける機会はほぼありませんし、犬が「本来持っている特徴」といわれても「本来」の状態が正直よく分かりません。
祖先は狼!だから本来の特徴は狼の特徴!という主張も見かけますが、1万年も前から狼は狼、犬は犬として生きているので、狼の特徴を単純に犬に当てはめるのは適当すぎるように感じます。
人間とともにいるのが家庭犬の自然(normal)な状態だと仮定して、その上で人間が特に何も働きかけなくても犬が自然に(naturally)とるであろう行動を考えてみることにします。
そこまで深く考えず、パッと思いつく「犬らしさ」が案外的を射ているかもしれません。


たとえばおさんぽの時を考えてみると、
においを嗅ぐ、歩く、走る、行きたい場所へと行く、立ち止まる、地面を掘る、 ごろごろ転がってにおいをつける、拾い食いする、動くものを追いかける、冷たい地面で伏せる、 おしっこする、うんこする、水を飲む、あやしいものに吠える、嫌なものから逃げる、 などなど。
 もっとあるかもしれませんが、わたしが今思いついたのはそんなところです。

まず、おさんぽに行くことがなければ、これらの行動はそもそも発現することがありません。
家の中でも類似の行動は起こり得るとは思いますが、屋外でこうした行動があらわれる可能性は限りなく低くなります。
また、飼い主さんの横をぴったりついて歩くというのは、この思いつきの中には入っていません。
「歩く」の一部分として、たまたま歩く場所が飼い主さんの横になることもあるとは思いますが、継続的にぴったりついて歩くというのは、人の手により作られた(Artificialな)行動であるように感じるからです。 みなさんはどうでしょうか。

「その犬らしさ」をいったん脇に置いて「犬らしさ」を考えてみることは大切です。
「うちの子はおさんぽが嫌いだから」「うちの子はもともといい子だから」という方もいらっしゃるとは思いますが、じっくりと時間をとってその子が「犬らしい」行動をとれる状況をつくってみてください。
その上で本当に「犬らしい」その行動を好まないのかどうか判断しましょう。
これはおさんぽに限った話ではありません。
「犬らしい」行動をあらわす機会が守られているか、「犬らしい」行動の選択を制限してはいないか、ときどき立ち止まって毎日の生活を点検してみましょう。

その子が「犬らしい」行動をとるようになったからといって、「その犬らしさ」がなくなってしまうわけではありません。
同じ「歩く」「においを嗅ぐ」という行動をとっても、その子によって歩き方、嗅ぎ方、歩くタイミング、興味のあるにおいは違います。
その時その歩調でそこを歩き、そのにおいを今その嗅ぎ方で感じた子はその子しかいません。
犬らしさの集合が犬なわけではありません。
犬らしさをいくつ集めても犬にはならないのです。
「犬らしさ」の中にあって「犬らしさ」の合間を埋め、「犬らしさ」を繋いで「犬らしさ」を超えていく何か、 それが、あなたが出会い、あなただけに見つけ出すことのできる「その犬」という存在なのではないでしょうか。

日々の生活の中で、犬の「犬らしい行動」を許容するのが苦痛に感じられる場合もあるかもしれません。
そんなとき、わたしはこの言葉を思い浮かべます。


"あるがままのものを認識し、できることを意志し、最後に、起こることを愛すること。"
―――――コント・スポンヴィル


犬が犬らしくあるために、そして、その犬が十全にその犬としてあるために、 「ある犬」と生きることを選んだわたしたちは、困難でも「犬らしさ」の果てにある「その犬」の姿を探し続けなければなりません。
いつかわたしたちは「その犬」に、あなたはあなたの犬、わたしはわたしの犬に、もう一度出会うことができるでしょう。 それはきっと、初めて会ったときのよろこびと同じ、もしくはそれ以上の歓喜に満ちた瞬間に違いありません!