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旧ブログURL変更のお知らせ


旧ブログ「糸あくび日記」のURLを変更いたします!

旧)http://blog.yarnyawn.com/
新)http://yarnyawn.jugem.jp/

現在ではどちらのURLからでもブログに繋がりますが、
3月31日(木)をもって旧URLではページを開くことができなくなります。


ブックマーク・リンク等をしてくださっている方、
大変お手数ですが、3月31日までに、

http://yarnyawn.jugem.jp/

へとリンク先の変更をしてくださいますよう、お願いいたします!
(ブログの内容は変わりません)


また、先日もお伝えいたしましたが、
来月3月5日をもって、itoakubi@gmail.com にアドレスを1本化いたします!
itoakubi@yarnyawn.com は使用できなくなりますのでご注意ください。

ブログURL、メールアドレスともに、ご不明点はご遠慮なくお問い合わせください!


※おわび※
HP移行の過程で、メールおよびブログの移行が2月28日時点で終了してしまいました!
すでに以前のアドレス・URLは使用できません。
ご迷惑をお掛けし、申し訳ありません。






***

ここ連日HPの整理をしています。

ファイルをごそごそしていると、途中で投げ出した文章がたくさん見つかりました。
そのひとつ、比較的きちんと書けていたものをお披露目したいと思います。
2年前の自分が却下したものなので、ちょっと恥ずかしくはありますが…。
たしか、コンセプトページのために書いていて、話が回りくどくなりすぎて放棄したような覚えがあります。

保存タイトルは「動物の権利」となっていました。
尻切れトンボの文章ですが、ご興味のある方はどうぞ~。

***

人間が人間としてしあわせに生きるために生まれながらに持っているとされる権利が「人権(human rights)」です。
人間以外の動物は、動物としてしあわせに生きるために生まれながらに「動物の権利(animal rights)」を持っているとは考えられないのでしょうか。
前のページでも書いたように、その答えは長らく「動物には権利がない」というものでした。
少しずつ「動物にも権利がある」という意見も出てきてはいますが、人権のように社会の共通理念として受け入れられるには至っていません。
動物は人間にとって権利を守るべき「同胞(世界人権宣言第1条より)」とはみなされてこなかったのです。
しかし、犬とともに生きることを選んだわたしたちにとって、犬はもはや家族も同然、「同胞」と言ってよい存在なのではないのでしょうか。
犬を本当に「しあわせにしたい」と考えるからには、「動物の権利」の問題は避けて通ることはできません。
そして、「動物の権利」という以上、考えられるべき「動物」とは犬のことだけではありません。
人権がいかなる人間であっても等しく認められるものであるように、動物の権利もまた、いかなる動物であっても等しく認められるものでなければ理論として不完全なものになってしまうでしょう。

ここでは動物の権利論を概観し、まずはじめにあなたの犬、ひいては人間以外の動物すべてを「不幸せにしない」方法を探っていきたいと思います。

人権思想自体が、人類の歴史の中では新しい思想です。
動物の権利という思想は、それよりももっと新しいものです。
動物の権利が問われるようになるまでの長い時間(多くの場合は今でも)、動物は人間によって支配・利用されるべき存在だと捉えられてきました。
従来の人間と動物の関わり方を形づくったものとして、真っ先に挙げられることが多いのが聖書とアリストテレスです。
アリストテレスは紀元前4世紀を生きたギリシアの哲学者で、聖書(旧約)の成立も同じく紀元前4世紀ごろとされています。

聖書の神は「創世記」の中で、人間に向けてこのように語ります。

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記、1.28)
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、 地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、 あなたたちの前に恐れおののき、 あなたたちの手にゆだねられる。 動いている命あるものは、 すべてあなたたちの食糧とするがよい。 わたしはこれらすべてのものを、 青草と同じようにあなたたちに与える。」(創世記、9.1-9.3)

それを受けて、古代イスラエルの王・ダビデはこのように歌います。

「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人間を造り なお、栄光と威光を冠としていただかせ 御手によって造られたものすべてを治めるように その足もとに置かれました。羊も牛も、野の獣も 空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。」(詩編、7.4-7.9)

一方、アリストテレスは「善い(しあわせな)人間になる」方法を追求し、理想的な国家形態を論じた著作の中で、

「人間は自然に国的動物である」(「ポリス的動物」「社会的動物」と訳されることも)

という有名な一節のあと、次のように述べています。

「そして何故に人間は凡ての蜜蜂や凡ての群居動物より一そう国的であるかということも明らかである。何故なら自然は、われわれが主張するように、何ものをも無駄に作りはしないのに、動物のうちで言葉を持っているのはただ人間だけだからである。声なら、これは快・苦を示す徴であるから、従って他の動物もまた持っている(何故ならこの程度、すなわち快・苦の知覚をもち、それを互いに示し合う程度まではこれらの動物の自然も発達しているからである)、しかし言葉は有利なものや有害なもの、従ってまた正しいものや不正なものを明らかにするために存するのである。何故ならこのことが、すなわち独り善悪正邪について知覚をもつということが、他の動物に比べて人間に固有なことであるからである。そして家や国を作ることの出来るのは、この善悪等々の知覚を共通に有していることによってである。」(『政治学』1253a)

聖書では神の意志によって、アリストテレスでは言葉を持っていることによって、人間を動物より一段高いものとして捉えています。
聖書=キリスト教とアリストテレス=古代ギリシア哲学といえば、西洋社会における文化・教養の基本です。
人間中心の思想が根強いものになったとしても、致し方ないというものでしょう。

ただし、注意しなければならないのは、

『神学大全』のトマス・アクゥイナスは、キリスト教神学にアリストテレス


旧約聖書


(このあたりは後で何か書き足すつもりだったと思われます。今となっては謎)



ダビデの息子、コへレトはこのように歌います。

「人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊を持っているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に下ると誰が言えよう。」(コへレトの言葉、3.18-3.21)



(ここにも何か書くつもりだったんだと思う)



1789年、ジェレミー・ベンサムは次のように述べました。

「克服できないラインを引くものは他にあるだろうか?思考力、あるいはひょっとすると、言葉による意志の伝達能力だろうか?しかし、成長したウマやイヌは、生まれてすぐ、または1週間、さらには1ヵ月経った乳児とでも比較にならないほど理性的で、社会的な動物である。しかし、そうだとしても実際には何が役立つだろうか?問題は、彼らが考えられるか?でも、彼らが話せるか?でもなく、彼らが苦痛を感じるか?である。」 "Introduction to the Principles of Morals and legislation"

ベンサムはイギリスの経済学者・法学者で、功利主義の始祖として知られる人物です。
「最大多数の最大幸福」という言葉を聞いたことはないでしょうか。
これはベンサムの "the greatest happiness of the greatest numbers" の日本語訳です。
ベンサムは「最大多数」の数の中に動物を含めており、その理由として「彼らが苦痛を感じる」ことを挙げています。

オーストラリアの哲学者、ピーター・シンガーは1989年の著作で、

「感覚を持つ生き物に意識がある限り、できるだけ多くの喜びと、できるだけ少ない悲しみを経験することに関心がある。知覚力は、ある生き物が利益を同等に考慮される対象となるのに十分な条件である」 "All animals are equal"

と述べています。
シンガーはベンサムの功利主義の流れを汲み、平等の原理に基づいて動物の解放論を唱えた人物です。
1985年に発表された彼の『動物の解放』"Animal Liberation" は、動物の権利運動の思想基盤となっています。
これは別の著作からの引用ですが、ここでも感覚的な喜び/悲しみをもって、動物も利益を(しあわせを)考慮されるに値する存在であるとしています。

また、アメリカの哲学者トム・レーガンは、次のように述べます。

「我々は個々に、それぞれの生活を経験する主体であり、意識ある生き物には個々の幸福があり、それは我々が他者に対してどれほど役立つかということに関わらず重要なことである。我々は何かを好み、何かを信じ、何かを感じ、思い出し、そして期待する。そしてこのような生活の様々な面、すなわち喜びと傷み、楽しみと苦しみ、満足と不満、長生きと早死にといったもののすべてが、我々が生きて経験する生活の質について、個々の違いを生み出す。同じことは我々とかかわる(例えば食べられたり、捕まえられたりする)動物たちにもいえるので、彼らにも自身の生まれ持った価値があり、ひとつの生活を経験する主体としてみられるべきなのである」 "The Case for Animal Rights" 1984年

ベンサム、シンガーの思想が利益の総量、利益の平等を主眼に置いているのに対し、レーガンははっきりと動物を権利の主体として認められるべきものであると規定しています。
ここでは深入りしませんが、動物のしあわせも考慮に値するという立場と、動物にはしあわせに生きる権利があるとする立場とでは、突き詰められた問題に対峙する際、その答えに大きな差異が生じることになります。
広い意味では「動物の権利論」としてまとめられることが多い両者ですが、この差異を重視する際はシンガーに代表される前者を「動物の解放論」、レーガンに代表される後者を「動物の権利論」として区別することもあります。
シンガー、レーガン、ともに存命の人物です。
この一事をもってしても「動物の権利」という概念がいかに新しいものかがお分かりいただけると思います。

***

ここで唐突に終わる。笑

採用したコンセプトの文章は、引用を減らしてすこしすっきりさせています。
新HPの整理がついたら改めてご紹介したいです。



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