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世界一のベストセラー


ここ1週間ほど、お店には行かず、家でHPのコンセプトページを作っています。
「動物の権利論」についてまとめるために、聖書を引っ張り出して読んでいたら、面白いところがいくつかありました。

わたしはクリスチャンではないのですが、花子の後輩だったので聖書を持っています。
日本語のものは、日本聖書協会発行の1998年版で、
英語のものは、American Bible Society 発行の1992年版です。

動物の権利論を語る上で、聖書は欠かせません。
詳しいことはHPが完成したら見ていただくとして、今日は面白かったところだけピックアップしてご紹介します。


・創世記1-26
有名な、

神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を作ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

というところ。
家畜と地の獣、地を這うものの違いってなんだ?

ここは英語だと、

Then God said, "And now we will make human beings; they will be like us and resemble us. They will have power over the fish, the birds, and all aminals, domestic and wild, large and small."

となっています。
"the fish" を「海の魚(うお)」、"the birds" を「空の鳥」と訳したセンスには脱帽ですが、そのあとは結構違いますよね。
"all animals, domestic and wild, large and small" は、直訳すれば「すべての動物、家庭にいるものも野生にいるものも、大きいものも小さいものも」となります。
"domestic" が「家畜」、"wild" が「地の獣」はいいとして、「地を這うもの」はどこから出てきたんだ。
この訳、訳者は気に入っているらしく、その後も「地を這うもの」は頻繁に顔を出します。
そのたびにおかしくておかしくて…。
もちろん、わたしはヘブライ語の旧約聖書なんて見たこともないので、実際に英語と日本語、どちらの訳が原典に近いものなのか判断はつかないのですが。

もうひとつ気になるのが、神さまの一人称「我々」"we" です。
旧約聖書(新約もだが)の神さまってひとりじゃないの?
他の箇所では 「わたし」"I" と言っているのですが、冒頭の一番目立つ部分で「我々」と言っているのが非常に気になりました。
なんでなんだろ??


・コへレトの言葉
コへレトはミケランジェロの彫像で知られる葉っぱのイケメン王・ダビデの息子さんです。

「空の空、空の空、一切は空である」(1.2)←古い日本語訳
「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」←わたしの持っている日本語訳

にはじまる、日本人好みの(?)無常観あふれる言葉が聖書に採用されています。
全文読めば無常観とも言い難いのですが、「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も、繰り返しその道程を流れる」(1.7)なんて、まるで『方丈記』みたいではないですか!

動物の権利について語るために聖書を持ち出したら、目的は「人間>動物」の箇所を探すためと相場が決まっています。
わたしもそのつもりでした。
しかし、このコへレト氏、

「人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊を持っているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に下ると誰が言えよう。」(3.18-3.21)

と言っていたのです。
先に引いた1章は好きだったので覚えていましたが、そのあとについては全く記憶がなく、正直驚きました。
どんでん返しがあるのでは?と続きも読んでみましたが、特にそんなことはありませんでした。
結論は「神を畏れ、その戒めを守れ。」(12.13)という、いかにも!なものでしたが。
「聖書はこうだから~」と無難にまとめようとしていたわたしとしては出鼻をくじかれた感じですが、ちょっと嬉しかったことも事実なのでした。


・イエスさま殺豚事件
これは学生のころから「え…」と思っていた箇所ですが、HPでは全文引用するスペースがなさそうなのでここで。

「一行は、湖の向こう岸にあるゲサラ人の地方に着いた。イエスが船から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。』イエスが、『汚れた霊、この人から出ていけ』と言われたからである。そこで、イエスが、『名は何というのか』とお尋ねになると、『名はレギオン。大勢だから』と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに『豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ』と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。」(マルコによる福音書 5.1-5.13)

マタイによる福音書、ルカによる福音書にも同様の記述があります。
ここでマルコ伝を選んだのは、豚の数が「たくさん」ではなく「二千匹」と明記されていたからです。
これにより汚れた霊に取りつかれた人は正気に戻りますが、怒った豚飼いから話を聞いた町の人があり得ない出来事に恐ろしくなり、イエスに町を出ていくようにお願いします。

いろいろ読み解ける箇所ではあるとは思うのですが、考える前にわたしは豚が気になって仕方ありません。
ひとりの人間を正気に返すために二千匹の豚がおぼれ死んだよ!!
悪霊が豚の中に入ることを望んでいるので、イエスさまが悪い(?)わけではないかもしれませんが…しかし…。
なんだか釈然としないわたしです。

ちなみに「レギオン」というのは古代ローマの軍団のことです。
軍団兵は数が多いので、「大勢だから」「名はレギオン」というわけです。
イエスとほぼ同時代人の初期ローマ皇帝たちの中では、わたしはカリグラが好きです。
アウグストゥスはかっこいいし、ティベリウスは渋いし、ネロの魅力も捨てがたいのですが、カリグラの破滅感はたまらないものがあります。
カミュの戯曲『カリギュラ』の「おれはまだ生きている!」は名言です!!って、単にカミュが好きなだけ、とも言いますね(笑)。
歴史上のカリグラがいろいろヤバいことは分かってる…。


さて、ごく一部しかご紹介できていませんが、意外と聖書も面白いと思っていただけたら嬉しいです。
約十年ぶりに手にとったわたしが言うことでもないですが、信仰するかしないかは別にして、世界一のベストセラーなだけはあると思います!

次は流れ的にアリストテレス先生に踏み込まなければならないので、プレッシャーでいっぱいです。
早く終わらせて2作目を織りたーい。


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